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【おっぱいは誰のもの?―乳児栄養法の変遷④】戦時体制下(昭和24年頃まで~1940年代:近代)~おっぱいは牛からもらえなくなった

戦時体制下(昭和24年頃まで~1940年代:近代) 時代背景 1937年に日清戦争がはじまり、1941年には第二次世界大戦へと進んでいった。戦時中は食糧事情が悪化したことは知られており乳汁分泌量への悪影響が懸念されるが、戦争下によるデータの...
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【おっぱいは誰のもの?―乳児栄養法の変遷③】昭和前期(昭和15年頃まで~1930年代:近代)~おっぱいはヒトと牛から

乳汁栄養法は主に母乳であった。 この時代になると人工栄養(代用栄養品)の種類も増えてきた(図1)。 しかし、新生児には母乳を与えるのが原則で、不足しているときには貰い乳が勧められている。 図1.昭和時代(Ⅰ期:昭和2年~15年頃:1927~...
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【おっぱいは誰のもの?―乳児栄養法の変遷②】  明治時代から大正時代~おっぱいは近代化の波にのったか

明治時代から大正時代(近代)~おっぱいは近代化の波にのったか 明治時代になると近代化に伴い、授乳に関する考え方は大きく変化していった1)この頃になると初乳が肯定的に評価され、胎毒説①が力を失うことで、母と子が初めから乳で結ばれることが「自然...
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【おっぱいは誰のもの?―乳児栄養法の変遷①】江戸時代~小児科学移入前(近世)~おっぱいを求めて

江戸時代-小児科学移入前(近世)~おっぱいを求めて 江戸時代の乳汁栄養法は、現在のように、母乳栄養と人工栄養という区分ではなく、人間の乳(人乳)という枠組みの中で生みの母の乳と他人の乳(乳つけ、貰い乳、乳母の乳、)の区分となる(図 1)。 ...
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【離乳栄養法-6-④新しい知見への期待】令和の時代~科学の進歩が赤ちゃんの食に関わる健康問題の解決にさらに貢献することを願って

令和時代~ いつの時代もヒトは乳を飲み、離乳食を食べ、幼児食へと進み次第に大人と同じかたさの食物を食べられるようになる。 ヒトがみな通過することであるが、小児が成人と違うことは、成長(発育・発達)することである。成長するということは未熟から...
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【離乳栄養法-6-③食物アレルギー】令和の時代~科学の進歩は赤ちゃんの食に関わる健康問題の解決に貢献しているか

令和時代~(2019~) 食物アレルギーとは食物により免疫反応を介して生体に不利益(マイナス)な症状が引き起こされる現象をいう。 不利益(マイナス)な症状は、食後2時間以内に起きて、30分~半日程度でおさまるのが一般的である。しかし重症にな...
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【離乳栄養法-6-②ビタミンD欠乏症】令和の時代~科学の進歩は赤ちゃんの食が関わる健康問題の解決に貢献しているか

令和時代~(2019~) 乳児において、ビタミンD欠乏によるくる病がまれでないことが、海外でも日本でも報告されている1)。これは紫外線の問題がクローズアップされたことによる日照機会の減少、ビタミンDを多く含む魚類の摂取量の減少が原因とされて...
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【離乳栄養法-6-①鉄欠乏性貧血】令和の時代~科学の進歩は赤ちゃんの離乳食問題解決に貢献しているか

令和時代~(2019~) さて昭和時代に離乳を初めて学問的に共同研究し作成した「離乳基本案」1958年(昭和33年)に始まり現在まで、「離乳の基本」1980年(昭和55年)、「改定・離乳の基本」1995年(平成7年)、「授乳・離乳の支援ガイ...
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【離乳栄養法-5】平成時代~栄養学の進歩は赤ちゃんの食を充実させたか

平成時代(令和元年頃まで~2019年頃) 1990年(平成2年)乳幼児身体発育調査1)によれば、体重、胸囲、頭囲は乳児期および幼児期前期でやや減少傾向、幼児期後期でやや上昇傾向を示した。肥満に関しては、乳幼児の肥満は良性肥満として学齢期の肥...
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【離乳栄養法-4】激動の昭和時代~赤ちゃんの食は守られたか

1.昭和前期(昭和15年頃まで~1930年代) 1930年代は不況の時期であり「昭和初期の社会形態は大正デモクラシーと昭和ファシズムの間にはさまれて国内的矛盾が国民の生活に直接影響を及ぼした。」1)とされる。乳児の栄養は母乳が主であり、人工...